こんばんは。なすです。ちょっと真面目な口調になります。(`・ω・´)
私は現在結婚して3年になりますが、割と妻とは仲が良いと思うんですね。私が思っているだけかもしれないけど(´;ω;`)
ただ周りからも仲がいいですね~と言われることも多いので、きっとそうなんだと信じています。笑
で、これ妻と出会ってから思う事なんですが、仲は良いです、仲はめちゃくちゃ良いですが、妻と私はけっこう性格が違います。趣味も好きなものも違います。似ている所も当然あるんですが、違いもけっこうあります。
で、結論【違くて良い】ってお話なんです。
今日は結婚したり、お付き合いするにあたって相手との違いについてどう向き合うのがいいのか、という私の意見をお伝え出来たらと思います。
けっこう、この【違い】に悩む人が私の周りにもいらっしゃって、「いまお付き合いしている人とは、〇〇が違くて」とかチラホラ耳にします。
モチロン性格が合う方と出会うという事はとても素敵な事なので、勘違いさせてしまったら申し訳ないのですが、完璧に自分と性格が合うというか、【同じ】なんてことはありえないんです。
なので、今現在大事な人がいる、もしくはこれから見つけるという方は、こんな考えもあるよって感じで見てもらえたら嬉しいです。ただこれはあくまでも、私個人の意見、思うものなので、当然万人に対してそうである、とか決めつけるものなんかではないので、そこのところよろしくお願いいたします。
自己紹介
まず自己紹介なのですが、私は上でも書いたように現在結婚3年目。妻と出会って、半年ぐらい遠距離恋愛をして、妻の住んでいる所へ引っ越して、同棲を始めました。それから1年弱同棲をした後に結婚。結婚生活2年目に妻が妊娠。出産。現在です。
今思い出してみても、特に大きなケンカとかもせずに(妻が我慢してくれてる部分も大いにあると思いますが)、今でも仲良く毎日楽しく過ごしています。
まぁ、まだ3年目でしょって感じでもありますが、それでも今まで一応上手く夫婦生活をやらしてもらっている身として、お話します。
一番身近な赤の他人
皆さんお付き合いを始める時って、同じ趣味があったり、共通の話題、同じ職場とか同じ環境で見つけた相手と、って事が多いと思います。まぁこれは当然といえば当然なのですが、その後、なんか好きなものが同じってちょっと運命を感じますよね?(笑) これはとっても素敵な事で、私も妻とは料理の味の好みが同じだったりします。同じものを食べて、美味しい不味いが似ているって、外食とかする時も非常に楽ですね。(笑) 同じ趣味というのも素敵な事です。休みの日に同じことをして楽しい時間を過ごすという事も大事ですから。
ただ、同じという事にこだわってしまうのは、少し危なくて。そこばかり気にしてしまうと、一緒に過ごす時間が増えていく中で、【違い】に過剰に反応してしまい、結果こんな風な気持ちになった事がないでしょうか?
- なんでわかってくれないの?
- なんで一緒にこれをしてくれないの?
- なんでこれが出来ないの?
この気持ちが積もってしまうと、相手への不満が出てきてしまいます。これは危険ですね。ケンカの元です。
極論を言ってしまうと、いくら相手が私やあなたにとって運命の方だとしても、結婚して家族となったとしても、その人は
【一番身近な赤の他人】であるということを忘れてしまっていけません。
これを結構忘れてしまう方がいらっしゃいますが、事実ではあります。
他人であるということは、育ってきた環境も違います(昔の曲にありましたね)。当然すべて同じなワケはないんです。違いがあって当たり前なんですね。まぁ、圧倒的に価値観が違うとなれば、人間が合わないので、もはやお付き合いをしていくなんてことはないと思います。(笑)
ここの勘違いが一番の問題です。よく熟年夫婦を描く時に、なんでも分かっている、という風に描かれることがありますが、最初からは不可能です。これは時間をかけていく中で可能な芸当です。
では時間をかけていくとはどういう事なのでしょうか?
こすり合わせる(下ネタじゃないです)(`・ω・´)?
時間をかけるとは、相手と自分の形を合わせていく事を意味します。
これは、ある物ごとに対して、その人はどんな反応をするのか、を知ることで積み重ねていくことが出来ます。
少しわかりづらい言い回しなので、例を挙げると
・部屋がどのくらい散らかっていたら、汚い、片付けようと思うのか?
とかです。これ、実体験ですが(笑)意外と違いがあります。
私は割ときれい好き、家にある物はキチンと仕舞われている状態が好きです。片付けも得意と。
妻は散らかっているのが好きとは言いませんが、片付けなどが壊滅的に下手です。よく提唱される【私がモノの位置を把握しているから大丈夫】派の人間です。同棲を始めた頃、私が部屋を片付けている時に勝手にモノを移動させたことで発覚しました。
さらに妻は「部屋がちらかっていて死んだ人間はいない」という名言を残し、私を黙らせました。
ここで、私がこの【違い】に対して、過剰に反応したなら反論をし、妻を変えようとしてしまったかもしれません。しかし、そうはなりませんでした。
私達はどうしたかというと、お互いがそのように感じるという事を認めた上で、役割分担をしました。【片付けは気になった方がやる】という風に。これは上手く出来ていて、ほとんど私がやることにまんまとなっています。(笑)
しかし、これで良いんだと思います。妻のモノはどこにあるのか妻にも使いやすいように最低限場所を設けて、片付けておく。極論を言えば、きれいな状態が好きなのは私です。だからもし仮に、私がまんまと片付けさせられているとしても、私はそれで満足しているのです。
これは私が主にすることでしたが、当然逆もあります。
私は壊滅的に料理が下手ですし、妻は味付けが抜群に上手です。本当に美味しいのよ。掃除機を持たせたら私ですが、キッチンは妻の城です。下手に立ち入らない方が賢い選択でしょう(;^ω^)
結論【許容ってやつです】
長くなりましたが、何が言いたいかというと、
相手と自分の違いを見つめて、それをどう受け入れていくのか、どうフィットさせていくのかが大事ということです。
違いには、やる⇔やらない、大事⇔どうでもいい、の他に【出来る⇔出来ない】もあります。つい自分が簡単に出来る事は相手にも求めてしまいがちですが、それが相手にとっては簡単じゃないこともあります。そこで責めたりなんかしたら手痛いカウンターを喰らうでしょう。職場を想像すれば当然の事だとわかるはずです。
上司に「なんで、こんな簡単な事なのに君は出来ないの?」なんて言われたら、間違いなく嫌いな上司ナンバーワンでしょう?
職場ではそう感じるのに家の中では違うなんて事はないと私は思います。
モラハラなんて言葉が飛び交いますが、もしも貴方がお付き合いしている方と今後も末永く一緒に生きていきたいと思うのであれば、その相手は二人の【違い】に出会った時に、どのような反応をするでしょうか?一方的に貴方に変わる事を求めてきますか?
それが出来るのは、貴方にストレスのない範囲だけです。
相手も同じです。貴方はどんな反応をしますか?相手に変わってもらおうとしますか?
相手にも我慢させているのかもしれません。
私もある程度の我慢はもちろん必要だと思っています、しかし私達は(少なくとも私にとって)
大事な事は、一緒に末長く、楽しく生きていくことです。
その為に、相手との違いを受け入れていくことが大事だと思っています。
最後にまとめると、
- いかに運命の相手だとしても、その人は一番身近な赤の他人。違いはある。
- 相手に変化を求めすぎてもダメ。自分に我慢をさせすぎてもダメ。バランス。
- どうすれば上手くいくのかを考える。話し合う。大事な事は、楽しく過ごす事。
最後にこれは、私たちが実践しているとても簡単だけど効果のある事をお伝えします。
とっても当たり前の事ですが、
「ありがとう」と言う事。
↑上記の【出来る⇔出来ない】にあるように、自分に出来ない事、出来たとしてもやってくれていることに対して、感謝しましょ。
これも違いがあるから「ありがとう」と言えるんだと思います。
それではまた。
最後までお読みいただきありがとうございました。おやすみなさい( ˘ω˘)スヤァ
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